鈴虫寺

人生は、苦しいこと悲しいことが必ず起きる

京都旅行に行きました。

清水寺のライトアップ、
伏見稲荷大社の千本鳥居、
渡月橋など楽しみましたが、

一番心に残ったのは鈴虫寺の説法です。

京都旅行を決めたときから、鈴虫寺の説法をメインに計画を練りました。

こちらのお寺では鈴虫の音色と共に説法が聞けるんですが、この説法が、ユーモアいっぱいでおもしろい、と大評判なんです。

ゴリパラ見聞録から知り、行ってみたいなぁとずっと思っていました。

期待どおり面白くて、心に残る素敵な説法でした。

誰かに知ってもらうためというよりは、じぶんの備忘のため、内容を記しておきたいと思います。

人生は、苦しいこと悲しいことが必ず起きる。でも、じぶんで苦しいこと悲しいことをかき集めてはいけない。

今回の説法で一番心に響いた言葉です。

人生は、苦しいこと悲しいことが必ず起こります。それは仕方のないこと。でもね、そこにさらに自分で苦しいこと、悲しいことをかき集めてくる人がいるんです。そんなことしなくてもいいんです。

(ここからはわたしの勝手な解釈です。)
苦しいこと、悲しいことがあったとき、その事実を変えることはできないけれど、それを勝手に大きくしたり、深くしたりしているのは自分なのかもしれない。

あるいは、本当は苦しくないし、悲しくもないことなのに、勝手にひとりで苦しいことにしたり、傷付いたりしてるだけかもしれない。

また、頼まれてもいないのに、わたしがなんときゃしなきゃとか、わたしがいないと○○(こども、親、兄弟、恋人など)はダメなんだと勝手に人の人生を背負おうとしてはいないか。

何かつらいできごとがあったとき、その事実を事実以上に大きく受け止めたり、勝手に人の人生を背負ったり(実際には誰も他人の人生なんて背負えはしないのに)しないように気を付けたい、と心に刻みました。

何かあったとき、ついつい、「なんでわたしばっかり!」と思いがちです。

最近はそうでもありませんが、若い頃のわたしは心底そう思っていました。

そりゃもちろん世界一ってわけじゃないけど、結構わたしって大変じゃないか?大変なのに平気なふりをしなきゃならなくて、さらに大変じゃないか?と思っていた時期があります。

大変だったことは事実だけれども、きっと背負わなくていいものまで勝手に背負ってみたり(背負えていないけど)、1くらい大変なことを10くらいにして受け止めていた気がします。

とはいえ当時のじぶんはじぶんなりに精一杯だったので、その時の感情を否定する気も、こうしておけばよかったんだよとアドバイスを送る気もありません。

当時、今回の住職の話を聞いたとしても、余裕がなくあまりこころに刺さらなかった気もしますし。

住職の言葉を素直に受け入れられている今は、それだけ幸せである証拠なのかもしれません。

当時のじぶんにも、今の環境にも感謝したい、と感じることができた住職のおはなしでした。

スマホ(素・磨・歩)

「大切なことを3つ話します。漢字3つだけなので忘れずに帰ってくださいね。」

といって次の漢字を伝えてださいました。

  • 素・・素直にありのままで
  • 磨・・腕を磨く、こころを磨く
  • 歩・・幸せに向かって歩いていく

覚えやすいようにドコモとソフトバンクとauを入れて文章を作ってくださってましたがそこは忘れました(^_^;)

素・・素直にありのままで

「ありの~ままの~」という歌を交えてつつ説明してくださいました。

着飾らない、ありのままのじぶんを認め、受け入れればいい、ということです。

住職の歌ったとおり有名な歌詞にもありますし、よく言われることではあります。

よく言われるようなこと、シンプルなことだけど、すごく大切なことですよね。

自分の中に要素のあるものをより良く見せるのであればまだいいけれど、ないものをあるように見せるのはしんどい部分があります。

(つたない部分はもちろんありますが)そのままのじぶんでも結構素敵だと思えるので、これからもありのままの自分でいることに自信をもって進んでいきたいと思います。

磨・・腕を磨く、こころを磨く

「腕を磨くというのは人間にしかできない。だからそれは大切にしなきゃならない。」

こういうところで聞くありがたいおはなしは、心とか気持ちとかに重きをおいて話す印象があり、腕を磨くことも必要だという考えはちょっと意外でした。

わたしは来年ひとり税理士として独立予定です。

元々思っていたことではありますが、あらためて、腕を磨き、自信を持ち、仕事に取り組んで行こうと思えました。

こころを磨くというのは、住職曰く、

「お陰さまです。お世話様です。お互い様です。を忘れないようにすること。」

だそうです。

現代において、気持ちを込めてこれらの言葉を発する場面はほぼないように感じます。

(お世話になりますって、仕事ではよく言いますけど、形式的にしか使っていなくてそこに気持ちはのっていないことがほとんどです。)

ただ、実際にこれらの言葉を発さなくても、感謝の気持ち、思いやる気持ちは忘れないようにしたいものです。

歩・・幸せに向かって歩いていく

「幸せは~歩いてこない、だ~から歩いていくんだよ~。」と、また住職が歌いつつ説明してくださいました。

この歌詞の通り、幸せは待っていても来ないから、じぶんから歩いて幸せに近寄っていくものなんだと。

ただ、そこで気を付けなければならないことがひとつあって、
それは「苦ラベル」というラベル。

これは本当に良くない。

「幸せ」っていうのは人それぞれで、そこへの行き方もまた到達するスピードも皆違う。

それなのに人と比べて自分は、、、なんて考えてしまう人が多い。それはしなくていいんです、と。

わたしもついつい苦ラベルしてしまいます。

例えばこのブログ。

ひとり税理士として独立予定ですが、既に独立している著名な方のブログを見て、その文章力の高さに卑屈になったり、じぶんより若い年齢から独立している方を見て焦ったり。

そう思うな、そう感じるな、というのはなかなか無理なおはなしですが、できるだけ程度や回数を減らしていきたいな、とは思います。

まとめ

評判どおりにおもしろくて素敵な説法でしたし、鈴虫の音色が響く落ち着いた空間でゆったりとした時間が過ごせて幸せでした。

心に響く言葉をたくさんもらえたことがいちばんよかったんですが、「分かりやすく」伝えることって大切なんだな、と学べたこともよかったです。

住職のおはなしは、とにかく分かりやすかった。

覚えることを漢字3つに集約してくれたり、笑いを入れて記憶に残りやすくしてくれたり。

説明上手だな、と感じました。

仕事において(もちろんそれ以外でも)分かりやすい説明はとても大切なこと。

人に何かを伝えるとき、相手の心や記憶に残らなければなんの意味もありません。

顧問先への説明において重要なこの「分かりやすい説明」、今もしているつもりではありますが、より心がけようと気持ちをあらたにしました。

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